2013年02月28日 (木) | 編集 |


今日、徳永さんが母校の市立伊丹高校の卒業式に
サプライズで出られたようです
のようなツイートがたくさん飛び交っていました。
羨ましいですね~

私の母校も卒業生に有名人が多いのですが、
卒業式にサプライズで来られたことはないような…

市立伊丹高校は見に行ったことがあります。
ほんと見に行っただけです→コチラ

その市立伊丹高校での高校生活のことが、
徳永英明ストーリー『未完成』
(由比良・著 1988.9.10初版発行)
にあります。
〝トゥモロー・ネバー・ノウズ″より抜粋。

 '74年('76年の間違い?)4月、彼は市立伊丹高校の門をくぐる。
 高校に入学した徳永英明は、中学から続けていたサッカー部に、まず入部した。が、
 「期待してたよか、つまんないな」
 それが、高校生活についての彼の正直な想いだった。
 学生がのびのびと、様々な分野で競い合い、楽しむ……理想論すぎるかもしれないけど、彼が期待していた高校生活は、そんなものだった。
 入学して最初の登校日、彼はパーマをかけて学校に行った。手に入れられるはずの〝自由″、その、ささやかな、子供っぽい表現、それがパーマだったのかもしれない。
 担任の教師は、すかさず彼を見とがめて、注意をうながした。
 「天然パーマなんですよ、スイマセン」
 彼は、少しガッカリしながらも、ウソをついて入学早々事を荒立てることを避けた。だが、そのパーマをかけた少年を、他校の、あまり付き合いたくない連中が見つけて、以来目をつけるのには、少々うんざりもしていた。
 「なんか、窮屈だな…」
 そんな印象は、クラブ活動も同じだった。自分も感じている窮屈さの裏返しか、妙に封建的なノリで下級生や新入生に対する先輩が居るのも、ちょっとうんざり気分に拍車をかけていた。
 中学時代とほとんど変わらない、事務的な授業と、なぜかもうひとつ打ち込めないクラブ活動…。
 そうした生活が、彼の眼を外の社会へと向けさせたのかもしれなかった。高校生活最初の夏休み、彼は両親にアルバイトをやりたいと、相談をもちかけた。学校の規則ではアルバイトは禁止されていたが、両親はそれを承知で、許してくれた。父親は「自分の金は自分で稼ぐのが基本だ」と、かえって勧めてくれさえした。バイト先は、クラブの練習を考慮して、近くの割烹の洗い場の仕事を選び、そこに決めた。
 真夏の、午後5時までのサッカーの練習、その後の割烹での洗い場のバイト…。肉体的にはすごいハードだった。だが、そのバイト先で得た刺激には、計り知れないものがあった。その辺は、この本の冒頭のシーンで述べたとおりだ。だが、この〝バイト経験″は、そうした〝人生の経験″といった抽象的なレベルを超えたキッカケやチャンスを、今後の彼に与え続けていくことになるのを、読者の皆さんはこの本を読み進めるにつれて、知ることになる。