2013年02月27日 (水) | 編集 |
今日は徳永英明さんの52回目のお誕生日です。

おめでとうございます

いつも素敵な歌をありがとうございます
これからも、お元気でご活躍されますように

徳永英明ストーリー『未完成』
(由比良・著 1988.9.10初版発行)
に誕生のことが書かれています。
〝スタンド・バイ・ミー″より一部抜粋してみました。

 徳永英明は1961年2月27日、福岡県柳川市に生まれた。英明とは、英明闊達、つまり〝才能に優れ、物事の道理にも通じ、なおかつ度量が広く、物事にこだわらぬこと″という熟語から父親が名付けた。父が27歳、母親が23歳の時の子供である。
 柳川市は福岡県南部の有明海に面した城下町で、そこで生まれた北原白秋もうたった水路が市内を縦横に走る美しい街である。筑紫平野を活かした農業のほか、海産物(貝や海苔など)の産地としても有名で、この事が後に徳永英明に、ある決心を思い立たせるのだが、それは後ほど。
 しかし彼は、この生地についての記憶は全く無い。父親の仕事(生命保険会社に勤務)の関係で、彼が一歳の時、家族はやはり福岡県南部の瀬高(せたか)町に引っ越したのだ。
彼らは父親の会社の社宅である団地に住む。
 徳永の生まれて最初の記憶は、この瀬高町でのものだが、それは多くの〝最初の記憶″がそうであるように、実に不思議な(あるいは滑稽な)ものだ。
 「洗濯機でお米を洗ってるんですよ。何でですかね。おふくろに聞いても首をかしげてるんですけど(笑)。あと、団地の前がラーメン屋さんで、そこの子供と遊んだ記憶もあるなあ。それと、親父の会社に連れてかれて、そこの女の事務員さんがすごく綺麗な人だったのも覚えてる」