2011.01.17
あの日
阪神・淡路大震災から16年です。
早いものです。
つい数年前のことのように思えますが。。。
前のブログで震災当日の様子を記事(2008年01月17日)
に書きましたが、今年はこちらに書きたいと思います。
あの日のことは、はっきり思い出せます。
3連休明けの朝、私は何故か目覚しもならないのに目が覚めました。
まだ6時なってない。(当時は6時に起床)
なんか損気した気分…
お正月が終わって、3連休も終わってなんかだるいな~
と布団から出れずにいました。
そしたら、突然、
ドドッ・・・ ド~ン
何、何???
ユサッ、ユサッ~
地震~!?
怖いいっ~
とっさに部屋の戸を開けていました。
地震が起こったら家が傾いてドアが開かなくなる。
というのを聞いたことがあり、思い出していたのです。
揺れは結構長くて、布団をかぶって耐えていました。
揺れがおさまると、隣の姉の部屋へ飛んでいきました。
「凄い、きつい地震やったな!近いでどこやろ?」
「ほんまや!どこやろー」
電気もつきません…
「ラジオ、ラジオ!」
当時、姉は枕元にラジオを置いてました。
ついでに言うなら、我が家は枕元にスタンドの代わりに
懐中電灯を置いています。
地震の速報はしているのですが、イマイチ震源地が
分かりません…
「淡路島かなんかみたい。」
「近いやん!でも、かなりきつかったで~」
階下に下りて両親に、
「凄い地震やったな!」
「お母さん、テーブルの足持ってた。。。」
「立ってられへんかった!」
「あんなテーブルの足、弱いやん!」
とりあえず、我が家は被害がなかったようでした。
しばらくすると電気も復旧したので、朝食の準備…
トイレに行って流そうとすると、
「水が出ない…」
仕方ないので、お風呂場から残り湯運んできました。
水道が止まってました。
電気は
なので、
をつけてみました。
すると、信じられない光景が映っているではないですか
「えっ何処?」
「何、これ!」
「ひどー!」
それは、跡形もなく倒壊した家・家・家・・・
火もあがっていました。
戦争時の焼け野原のようでした。
そして倒れて道路を塞いだ
折れた高速道路、その上に辛うじて止まっている
「あの神戸がー」と絶句していました。
そんな中、母が仕事に行くと家を出ました。
(朝の早い仕事に行っていました。)
でも、しばらくすると帰ってきました。
「踏み切り、遮断機が降りたままで、電車全然来ないわ。」
「そんなら会社行かれへん!」
でも
が止まっていることを放送していました。
仕方がないので、準備だけして待つことにしました。
その間に水道が復旧しました。
そんな時、会社の上司から
がありました。
「えらい事になったけど、どうですか?来れそうですか?」
南海電車・近鉄電車は動いていたので、会社に来られたようです。
「駄目です。電車動いていません。」
「動いたら来てください。」
その後は、もう
は通じなくなりました。
結局、その日は会社へ行けませんでした。
で次々と伝えられてくる悲惨な状況を
見て一日を過ごしました…
近所でも屋根瓦が落ちたり、食器が割りたり
とかいろいろ情報がありました。
幸い、我が家はそういうことはありませんでした。
その後、「お墓が倒れている」と連絡がありましたが…
また、ガスがなかなか復旧しなくて、
食事の用意もままならなかったです。
当時、うちの会社は神戸・西宮の人が多く、
震災でが一部壊れたり、親戚の人が亡くなったり、
避難所で生活している人もいました。
一瞬にして、すべてが変わってしまう地震の怖さを
体験した日でした。
あれから、地震も増えてきています。
他人事ではないと思います。
早いものです。
つい数年前のことのように思えますが。。。
前のブログで震災当日の様子を記事(2008年01月17日)
に書きましたが、今年はこちらに書きたいと思います。
あの日のことは、はっきり思い出せます。
3連休明けの朝、私は何故か目覚しもならないのに目が覚めました。
まだ6時なってない。(当時は6時に起床)
なんか損気した気分…
お正月が終わって、3連休も終わってなんかだるいな~
と布団から出れずにいました。
そしたら、突然、
ドドッ・・・ ド~ン
何、何???
ユサッ、ユサッ~
地震~!?
怖いいっ~

とっさに部屋の戸を開けていました。
地震が起こったら家が傾いてドアが開かなくなる。
というのを聞いたことがあり、思い出していたのです。
揺れは結構長くて、布団をかぶって耐えていました。
揺れがおさまると、隣の姉の部屋へ飛んでいきました。
「凄い、きつい地震やったな!近いでどこやろ?」
「ほんまや!どこやろー」
電気もつきません…
「ラジオ、ラジオ!」
当時、姉は枕元にラジオを置いてました。
ついでに言うなら、我が家は枕元にスタンドの代わりに
懐中電灯を置いています。
地震の速報はしているのですが、イマイチ震源地が
分かりません…
「淡路島かなんかみたい。」
「近いやん!でも、かなりきつかったで~」
階下に下りて両親に、
「凄い地震やったな!」
「お母さん、テーブルの足持ってた。。。」
「立ってられへんかった!」
「あんなテーブルの足、弱いやん!」
とりあえず、我が家は被害がなかったようでした。
しばらくすると電気も復旧したので、朝食の準備…
トイレに行って流そうとすると、
「水が出ない…」
仕方ないので、お風呂場から残り湯運んできました。
水道が止まってました。
電気は


すると、信じられない光景が映っているではないですか

「えっ何処?」
「何、これ!」
「ひどー!」
それは、跡形もなく倒壊した家・家・家・・・
火もあがっていました。
戦争時の焼け野原のようでした。
そして倒れて道路を塞いだ
折れた高速道路、その上に辛うじて止まっている

「あの神戸がー」と絶句していました。
そんな中、母が仕事に行くと家を出ました。
(朝の早い仕事に行っていました。)
でも、しばらくすると帰ってきました。
「踏み切り、遮断機が降りたままで、電車全然来ないわ。」
「そんなら会社行かれへん!」


仕方がないので、準備だけして待つことにしました。
その間に水道が復旧しました。
そんな時、会社の上司から

「えらい事になったけど、どうですか?来れそうですか?」
南海電車・近鉄電車は動いていたので、会社に来られたようです。
「駄目です。電車動いていません。」
「動いたら来てください。」
その後は、もう

結局、その日は会社へ行けませんでした。
で次々と伝えられてくる悲惨な状況を
見て一日を過ごしました…
近所でも屋根瓦が落ちたり、食器が割りたり
とかいろいろ情報がありました。
幸い、我が家はそういうことはありませんでした。
その後、「お墓が倒れている」と連絡がありましたが…
また、ガスがなかなか復旧しなくて、
食事の用意もままならなかったです。
当時、うちの会社は神戸・西宮の人が多く、
震災でが一部壊れたり、親戚の人が亡くなったり、
避難所で生活している人もいました。
一瞬にして、すべてが変わってしまう地震の怖さを
体験した日でした。
あれから、地震も増えてきています。
他人事ではないと思います。
