2013.02.09
『DEAR HIDEAKI TOKUNAGA PHOTO ALBUM』より
先日、私が初めて生の徳永英明さんに出会った年、
1988年のライブについて記事にしました。
→コチラ
その1988年のDEARツアーや「最後の言い訳」のことが、
『DEAR HIDEAKI TOKUNAGA PHOTO ALBUM』
(Photograph by MICHIO NIKKAKU
1988.10.4初版発行。)にも書かれています。
INTERMISSIONより抜粋。
人との
素敵な出会いこそが
歌が生まれるエネルギー源
「輝きながら…」のヒットは、彼を一気にスターに押し上げた。でも、それで有頂天になるような甘ちゃんではなかった。むしろこの曲からのファンと、それ以前からのファンとのギャップに悩んだ。その結果、それまでの代表曲に新曲を2曲プラスして、アルバム『INTRO』をリリースした。
彼のアルバムづくりは矢継ぎ早だった。88年4月21日には、『DEAR』がリリースされた。これは彼自身の手でプロデュースされたアルバムだ。コンセプトは、歌の聴き手に対して素直に感謝し、その出会いを大切にしていきたい、という願い込めたものだ。
『DEAR』の中の曲で、シングル・カットされてヒットした「風のエオリア」は、ニューヨークへ行き、見知らぬ街の孤独の中でつくりあげた曲だ。知らない顔に通じない言葉、でもやさしさをつなげていったら、きっと人と人とのいい関係ができあがるに違いない。そんな彼の人間に対するやさしさと思いやりは私たちの心を揺さぶらずにはおかない。
『DEAR』に合わせて行われたコンサート・ツアーは、3か月で53本に及んだ。彼はこの間、10万人の人々と出会い、そのひとつひとつを大切にし、感謝の気持ちを伝えてきた。
コンサート・ツアーの中で歌われ、まだレコード化されていなかった曲があった。それは「最後の言い訳」である。この曲、実は新曲ではなく、コンサートに来てくれるファンのために彼が、「いろんなことあるけど一緒に頑張ろうよ」、そんな気持ちをこめて作った歌であった。しかしコンサートを重ねる中で、草の根ファンから、ぜひレコード化をとのリクエストがたくさん寄せられた。ライヴ時代からのファンを何よりも大切にしたいという彼は、そのリクエストに応え、レコード化することにした。ファンとともに育ててきた曲を世に出すのは、彼の理想とするところだ。
歌を通して、聴き手にエネルギーを与える彼は、逆に聴き手からも十分なエネルギーを吸収している。一方通行ではなく、いつも相互通行を心がける彼は、決してファンの期待を裏切ることはないだろう。また、新たな人との出会いが続く限り、彼から素晴らしい歌が生まれつづけることだろう。
パーソナリティーされていたフリーキャンパスKYOTO
で
初めて「最後の言い訳」を聴いた時、
「みんなへのメッセージ」と言われていたように思います。
1988年のライブについて記事にしました。
→コチラ
その1988年のDEARツアーや「最後の言い訳」のことが、
『DEAR HIDEAKI TOKUNAGA PHOTO ALBUM』
(Photograph by MICHIO NIKKAKU
1988.10.4初版発行。)にも書かれています。
INTERMISSIONより抜粋。
人との
素敵な出会いこそが
歌が生まれるエネルギー源
「輝きながら…」のヒットは、彼を一気にスターに押し上げた。でも、それで有頂天になるような甘ちゃんではなかった。むしろこの曲からのファンと、それ以前からのファンとのギャップに悩んだ。その結果、それまでの代表曲に新曲を2曲プラスして、アルバム『INTRO』をリリースした。
彼のアルバムづくりは矢継ぎ早だった。88年4月21日には、『DEAR』がリリースされた。これは彼自身の手でプロデュースされたアルバムだ。コンセプトは、歌の聴き手に対して素直に感謝し、その出会いを大切にしていきたい、という願い込めたものだ。
『DEAR』の中の曲で、シングル・カットされてヒットした「風のエオリア」は、ニューヨークへ行き、見知らぬ街の孤独の中でつくりあげた曲だ。知らない顔に通じない言葉、でもやさしさをつなげていったら、きっと人と人とのいい関係ができあがるに違いない。そんな彼の人間に対するやさしさと思いやりは私たちの心を揺さぶらずにはおかない。
『DEAR』に合わせて行われたコンサート・ツアーは、3か月で53本に及んだ。彼はこの間、10万人の人々と出会い、そのひとつひとつを大切にし、感謝の気持ちを伝えてきた。
コンサート・ツアーの中で歌われ、まだレコード化されていなかった曲があった。それは「最後の言い訳」である。この曲、実は新曲ではなく、コンサートに来てくれるファンのために彼が、「いろんなことあるけど一緒に頑張ろうよ」、そんな気持ちをこめて作った歌であった。しかしコンサートを重ねる中で、草の根ファンから、ぜひレコード化をとのリクエストがたくさん寄せられた。ライヴ時代からのファンを何よりも大切にしたいという彼は、そのリクエストに応え、レコード化することにした。ファンとともに育ててきた曲を世に出すのは、彼の理想とするところだ。
歌を通して、聴き手にエネルギーを与える彼は、逆に聴き手からも十分なエネルギーを吸収している。一方通行ではなく、いつも相互通行を心がける彼は、決してファンの期待を裏切ることはないだろう。また、新たな人との出会いが続く限り、彼から素晴らしい歌が生まれつづけることだろう。
パーソナリティーされていたフリーキャンパスKYOTO

初めて「最後の言い訳」を聴いた時、
「みんなへのメッセージ」と言われていたように思います。


初?
今晩は
僕が初めて徳永英明さんに会ったのは黄色い幸せの種の富山オーバーホールでした
石川県には来なかったのでショックでした
MY LIFEツアーも石川県が無かったです
僕が初めて徳永英明さんに会ったのは黄色い幸せの種の富山オーバーホールでした
石川県には来なかったのでショックでした
MY LIFEツアーも石川県が無かったです
No title
こんばんわ
そうなんですね~^^
10万人の人々と出会い、そのひとつひとつを大切にし、感謝の気持ちを伝えてきた。
素晴らしいです
そうなんですね~^^
10万人の人々と出会い、そのひとつひとつを大切にし、感謝の気持ちを伝えてきた。
素晴らしいです
No title
「輝きながら・・・」ここからのファンとそれより前のファン?
えぇ~、その前からのファンて凄いです。。
ギャップとはどんなですか?
初めて知りました!
「風のエオリア」言葉が通じなくても人と人との繋がりや
思いやりそういう形で出来た曲なんですね。
はぁ~そうなんですか。
『INTORO』の前に『BIRDS』のアルバムが出てますよね。
徳永さんの中にはこの2枚いろいろ思い入れがあったのですかね。
「輝きながら・・・」葛藤などで暫く封印した時期があったりで
大変な思いをしながら今日に至るんですね。
本当にファンの事を大事に思っているのが伝わります(^-^)
えぇ~、その前からのファンて凄いです。。
ギャップとはどんなですか?
初めて知りました!
「風のエオリア」言葉が通じなくても人と人との繋がりや
思いやりそういう形で出来た曲なんですね。
はぁ~そうなんですか。
『INTORO』の前に『BIRDS』のアルバムが出てますよね。
徳永さんの中にはこの2枚いろいろ思い入れがあったのですかね。
「輝きながら・・・」葛藤などで暫く封印した時期があったりで
大変な思いをしながら今日に至るんですね。
本当にファンの事を大事に思っているのが伝わります(^-^)
やまもっちさんへ
私は“BIRDS”ツアーの追加公演でした。
石川はなかったりするんですね。
大阪はいつも何公演もあって感謝です
石川はなかったりするんですね。
大阪はいつも何公演もあって感謝です

マクシフさんへ
感謝の気持ちは大切ですね。
今もそうだと思います。
そして、これからも…
今もそうだと思います。
そして、これからも…
アノ徳子さんへ
私は典型的な「輝きながら…」のファンです
あの曲のイメージが徳永さん、と思って
コンサートへ行ったらこっちにギャップがありました。
でも、それがかえってよかったんですけど
たぶんそのあたりのことでしょう…
「風のエオリア」のことは
コンサートの時に言われてたかもしれません…
私は『INTORO』を一番最初に聴きました。
そのおかけで徳永さんの曲がよく分かりました。
それぞれのアルバムには
ほんといろいろな思いが込めらていますね。
「輝きながら…」は徳永さんの声だったから
あれだけヒットしたと私は思っています。
大変な思いをされたから今があるのは
間違いないですよね。
ファンの事を大事に、
これからもそうですよね

あの曲のイメージが徳永さん、と思って
コンサートへ行ったらこっちにギャップがありました。
でも、それがかえってよかったんですけど

たぶんそのあたりのことでしょう…
「風のエオリア」のことは
コンサートの時に言われてたかもしれません…
私は『INTORO』を一番最初に聴きました。
そのおかけで徳永さんの曲がよく分かりました。
それぞれのアルバムには
ほんといろいろな思いが込めらていますね。
「輝きながら…」は徳永さんの声だったから
あれだけヒットしたと私は思っています。
大変な思いをされたから今があるのは
間違いないですよね。
ファンの事を大事に、
これからもそうですよね
