2013-03-24
今日、3月24日の“今夜はバラード気分”
…徳永英明さんの楽曲のみを流してくれるラジオ番組(FM-N1)…
桜
未来飛行
やさしいね
MYKONOS
愛をください
追憶
輝きながら…
そして、
『未完成』より⑦の続き、
徳永英明さんの高校生活のお話です。
徳永英明ストーリー『未完成』
(由比良・著 1988.9.10初版発行)
〝トゥモロー・ネバー・ノウズ″より抜粋。
高校時代の徳永の生活は、クラブ活動、アルバイト、そして圭子ちゃんとの恋愛と家での曲作りが、主に彩りを添えている。
アルバイトは先の割烹を初め、レストランのウエイター、キリン・ビールのビール配達、正月には米屋の餅つきのバイトもやっている。
曲作りも、着実に進行していた。別にバンドを組んでライヴ・ハウスに打って出ようとか、オーディションを受けようかという明確な目標を定めていたわけでもない。全くの趣味。だか、彼にとってはこれだけは手離せない大切な趣味だった。彼は、自作の曲の中でも特に気に入った数曲を、考慮して並べて、アルバムを制作するような楽しみを感じてもいた。
圭子は、そんな彼の趣味を知っていた数少ない人間のひとりだった。彼は彼女が自宅に遊びに来た時、弟に判らないように、彼の曲を彼女にうたってきかせた。彼女は大切なリスナーでもあったのだ。
そんな彼女に、彼は自分が気に入っているミュージシャンのシングルのB面を「今度新しくできた曲なんだ」と言って聴かせたこともある。自分で曲を作ったことがあり、しかもその時期にガールフレンドがいた人間なら誰もが一度や二度は経験したことがある。たあいのないミエってやつだ。
やがてその〝ウソ″は、圭子ちゃんにいとも簡単にバレるようになる。
雨の降る小道で、徳永は彼女にこんこんとお説教をされる。早くに母親を亡くしていた彼女は、同世代の女の娘とは思えないくらい、しっかりした女性だった。
学校の下級生の女生徒の中には、徳永に憧れてキャーキャー言ってるのも、いた。が、彼の眼は、高校2年生の夏以来、まっすぐに圭子ちゃんに向けられたままだった。それは、やがて彼が高校卒業後、東京へ発つ決心を固めるまで2年間以上も続く。
学校に活を入れるための、学内での応援団活動。思い切り硬派な、徳永英明だ。洗い場で汚れた皿の山に取り組んだり、ビールのケースをかかえて走り回ったり、餅つきに精を出す…そんな、アルバイトに取りくむ徳永英明、それも彼の硬派な一面をうかがわせる。
そんな彼は、家に帰ると自分の部屋でギターをかかえ、目標を持たない〝曲作りのための曲作り″を続ける…。軟派というのは当たらないが、とてもナイーヴでデリケートな側面であることは間違いない。
〝剛″と〝柔″――、言葉が見つからないのであえてそんな言い方をしてしまうが、徳永英明は、そんなふたつの要素を同時に彼自身の中で育て続けていた。それは、この今も変わることはない。どころか、どちらの要素もどんどん成長し続けている。'88年4月から開始された53本のハードなツアーでは、特に後半になるに従って、観客は、そんなふたつの要素を備えた彼の大きなキャパシティーを目のあたりにしたことだろう。さらに付け加えれば、そんな〝両面性″を備えていることは、アーティストにとって必要不可欠なことだと、僕は思っている。秀れたミュージシャンの多くは、ふたつの側面をその時に応じて発揮させながら、あるいはそれを絶妙のバランスで融合させながら、作品を生み続け、音楽と共にある人生を充実させている。そして時にそのバランスがくずれる時、彼らは〝スランプ″という試練に直面し、それを乗り越えてゆく。
…徳永英明さんの楽曲のみを流してくれるラジオ番組(FM-N1)…
桜
未来飛行
やさしいね
MYKONOS
愛をください
追憶
輝きながら…
そして、
『未完成』より⑦の続き、
徳永英明さんの高校生活のお話です。
徳永英明ストーリー『未完成』
(由比良・著 1988.9.10初版発行)
〝トゥモロー・ネバー・ノウズ″より抜粋。
高校時代の徳永の生活は、クラブ活動、アルバイト、そして圭子ちゃんとの恋愛と家での曲作りが、主に彩りを添えている。
アルバイトは先の割烹を初め、レストランのウエイター、キリン・ビールのビール配達、正月には米屋の餅つきのバイトもやっている。
曲作りも、着実に進行していた。別にバンドを組んでライヴ・ハウスに打って出ようとか、オーディションを受けようかという明確な目標を定めていたわけでもない。全くの趣味。だか、彼にとってはこれだけは手離せない大切な趣味だった。彼は、自作の曲の中でも特に気に入った数曲を、考慮して並べて、アルバムを制作するような楽しみを感じてもいた。
圭子は、そんな彼の趣味を知っていた数少ない人間のひとりだった。彼は彼女が自宅に遊びに来た時、弟に判らないように、彼の曲を彼女にうたってきかせた。彼女は大切なリスナーでもあったのだ。
そんな彼女に、彼は自分が気に入っているミュージシャンのシングルのB面を「今度新しくできた曲なんだ」と言って聴かせたこともある。自分で曲を作ったことがあり、しかもその時期にガールフレンドがいた人間なら誰もが一度や二度は経験したことがある。たあいのないミエってやつだ。
やがてその〝ウソ″は、圭子ちゃんにいとも簡単にバレるようになる。
雨の降る小道で、徳永は彼女にこんこんとお説教をされる。早くに母親を亡くしていた彼女は、同世代の女の娘とは思えないくらい、しっかりした女性だった。
学校の下級生の女生徒の中には、徳永に憧れてキャーキャー言ってるのも、いた。が、彼の眼は、高校2年生の夏以来、まっすぐに圭子ちゃんに向けられたままだった。それは、やがて彼が高校卒業後、東京へ発つ決心を固めるまで2年間以上も続く。
学校に活を入れるための、学内での応援団活動。思い切り硬派な、徳永英明だ。洗い場で汚れた皿の山に取り組んだり、ビールのケースをかかえて走り回ったり、餅つきに精を出す…そんな、アルバイトに取りくむ徳永英明、それも彼の硬派な一面をうかがわせる。
そんな彼は、家に帰ると自分の部屋でギターをかかえ、目標を持たない〝曲作りのための曲作り″を続ける…。軟派というのは当たらないが、とてもナイーヴでデリケートな側面であることは間違いない。
〝剛″と〝柔″――、言葉が見つからないのであえてそんな言い方をしてしまうが、徳永英明は、そんなふたつの要素を同時に彼自身の中で育て続けていた。それは、この今も変わることはない。どころか、どちらの要素もどんどん成長し続けている。'88年4月から開始された53本のハードなツアーでは、特に後半になるに従って、観客は、そんなふたつの要素を備えた彼の大きなキャパシティーを目のあたりにしたことだろう。さらに付け加えれば、そんな〝両面性″を備えていることは、アーティストにとって必要不可欠なことだと、僕は思っている。秀れたミュージシャンの多くは、ふたつの側面をその時に応じて発揮させながら、あるいはそれを絶妙のバランスで融合させながら、作品を生み続け、音楽と共にある人生を充実させている。そして時にそのバランスがくずれる時、彼らは〝スランプ″という試練に直面し、それを乗り越えてゆく。
